マラン・マレー 異国趣味の組曲
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1656年にパリで生まれたマラン・マレーは、
1667年にサン=ジェルマン=ロクセロワ教会の聖歌隊に入り、およそ5年間楽長を務めていたフランソワ・シャプロンから優れた音楽教育を受けました。その後著名なバス・ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者のサント=コロンブに学び、名手として知られる様になりますが、おそらくその5年間の中でヴィオラ・ダ・ガンバを学び始めたに違いありません。
パリ・オペラ座の監督であり、作曲の師匠であるリュリの後ろ盾により、パリ・オペラ座のオーケストラで演奏、フランス宮廷でリュリの「アティス Atys」の初演(1676年)に参加、また彼自身の作品である「イディルドラマティック Idylle dramatique」(1686年)と「テ・デウム Te Deum」(1701年)を指揮しました(残念ながら、現在は両作品とも楽譜が紛失しています)。
彼の叙情悲劇の中で最も成功したといえるのは「アルシオーネ Alcyone」(1706年)で、この作品は18世紀の間に重ねて(1730年、
1741年、1757年、1771年)再演されました。
マレーはソリストとして活動した最初のフランス人演奏家の一人でした。
ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者としての彼の特徴は、その演奏が「袋」に満ちていて、しかも「天使の様」だと言われ同時代の多くの人々を魅了しました。
彼はパフォーマーとして並外れた才能を持ち、ヴェルサイユや他の王宮で定期的に行われた室内楽コンサートで演奏し、王のお気に入りの音楽家の一人となりました。そして彼の比類ない芸術的な演奏はヨーロッパ中に知れ渡りました。
また、マレーは教育者としても大きく注目され、著名な貴族たちもこぞって彼の教えを受けようとしました。そして彼自身は多くの子どもに恵まれましたが、その中でヴァンサンとロランの二人がプロのヴィオラ・ダ・ガンバ奏者になりました。
マレーは1686年に最初のヴィオラ・ダ・ガンバ曲集を作曲し、その作品はリュリに捧げられました。そして1725年までに、マレーはヴィオラ・ダ・ガンバと通奏低音のための作品全5巻を出版し、2台、また3台のヴィオラ・ダ・ガンバのためにいくつかの組曲を作曲、合計
598の作品が39の組曲にグループ化されて出版されました。
また1692年には2つの高音楽器と通奏低音、1723年にはヴァイオリン、ヴィオラ・ダ・ガンバ、チェンバロによるトリオ作品『音階』を出版しました。70歳を前に1725年、宮廷を引退し後はフォプール・サン=マルソー(当時はパリ郊外にありました)に移り、修々自適に庭いじりなどをする傍ら、週に2、3日はパリでヴィオラ・ダ・ガンバを教え続けました。
1727年に没しサンティポリット小教区教会に埋葬されましたが、その地は19世紀に破壊されて現在では残っていません。
フランス文化がイタリアのアイディア、様式、形式に大きく影響されていた時代に、マレーはフランスの伝統的な音楽に忠実であり続けました。
イタリアのヴァイオリンソナタに見られる、熱狂的で、時には劇的な音楽とは対照的に、彼のヴィオラ・ダ・ガンバ組曲は、いかにもフランスらしく、その優雅さ、明確なダンスリズム、明確なアーティキレーション、豊かな装飾が特徴になっています。
ヴィオラ・ダ・ガンバ作品の第4巻は、1717年に2冊のパートブックとして出版されました。
<異国組曲>はその中の第2部で、13の異なる調の33曲により成っています。
この<異国>があらわすものは「外国」という意味ではなく、おそらく、「不思議」、「風変わりな」という意味合いだといえるでしょう。
それまでは、組曲の中の作品は全て同じ調であるのが普通でしたが、マレーのこの作品では全てが同じ調ではなく、彼のオリジナリティにあふれた組曲になっています。
組曲の中の多くの作品には説明的なタイトルが付けられており、また、そうでない作品もそれぞれがキャラクターの「奇妙さ」を持っています(4つのアルマンドの異なるキャラクターが良い例です)。フランスの音楽とイタリアの音楽の、スタイルの対立が前面に現れ出たこの時代に、マレーのこの組曲は例外的にイタリア音楽の影響はほとんど受けてはいません(タイトルにラ・ビザールというのがあり、これはイタリア語のビザロ=奇妙から取られていたり、ソナタまたはカプリス、ラ・フガーデはイタリアのカプリッチョのキャラクターを持っていますが、その音楽はイタリア音楽からの影響は少ないといえるでしょう)。
マレーの作風は、フランスの特徴である、見せびらかしや虚栄心のない妙技、誇張のない感性を持ち、それはルイ14世にとって理想的な音楽家でした。
今回の録音は、組曲より26曲が収録されており、曲順はEb-E-F-C-D-G-A-F#と調性の持つキャラクターや<異国)を意識しつつ、聴きやすい進行となる様に特別な配慮をした。
また、1723年作のマレーのトリオ作品の中でも注目すべき1つである(鐘)への序曲として、当時著名だったテオルボ奏者で、マレー
とも共演したドゥニヴィゼ作のテオルボ前奏曲を、そしてフランススタイルとイタリアスタイルが組み合わされた、この組曲の中では珍しいスタイルで書かれた雄大、雄弁なイ短調のカプリスソナタの前にドゥーヴィゼのギター前奏曲を配した。
(エマニュエル・ジラール)