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Ensemble Marella

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FORQUERAY

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2017

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2017

Production

Naoya IWANAGA

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Takashi IKEDA

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Takashi IKEDA

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Atsushi YOKOTA

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Atsushi YOKOTA

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Takanori SUGII

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Details

フォルクレ


アントワン(アントワーヌ)・フォルクレは

1672年にフランス、パリに生まれる。幼少期からガンバの神童と謳われ、20歳を迎える頃にはフランスを代表する最も優れたガンバ奏者として広く知られる存在であった。

彼は1697年に、パリで活躍する優れたオルガニスト、アントワン・ウッスの娘、チェンバロ奏者のアンジェリック・アンリエット・ウッスと結婚、二人の間には、シャルロット=エリザベス、音楽の道に進んだジャン=パティストウ、ニコラ・ジル、と3人の子供達に恵まれた。多くのパリで活躍した音楽家と同様に、自宅で夫婦による<音楽のタベ)を開催し、アントワンはガンバを演奏し、アンジェリックはチェンバロでガンバの伴奏を務めた。アントワンは、ソリスト、アンサンブルメンバーとしても活躍し、その時、パリを中心に活躍していた人気音楽家達、テオルボ奏者のロベール・ドゥ・ヴィゼー、ヴァイオリニストのジャン=ピエール・ギニョン、そしてチェンバロ奏者のジャンニバティスト・ブテルネ等としばしば共演した。

彼はブルゴーニュ公、バイエルン選帝候・マクシミリアン二世エマニュエル、オルレアン公・フィリップ一世、そしてその息子でルイ

15世の摂政となったオルレアン公・フィリッ

プニ世(優秀な音楽家で熟練したガンバ

者、歌手、作曲家、イタリア音楽愛好家)

に音楽教師としてガンバを教え大きな援助を受けていたため、度々宮廷に招かれ演奏を披露することとなる。

1690年代、パリを訪れたイタリアのヴァイオリニスト達は、重音、和音の使用、華やかな即興的な装飾音符、一号で様々な音量と音色を持つダイナミックなニュアンスを持つくイタリア様式)を披露していたが、フォルクレはこの(イタリア様式)から大きな影響を受け、ガンバのフレットのない分の指盤までを押さえる高音や、エスプレッシーヴォの持続音、新しい装飾音による奏法を初めてガンバに取り入れた。


アントワンはそれらの奏法を芸術的に円

熱した形に昇華させ、舞合で披選、また彼は即興にも大変優れた才能を発揮し、高い評価を得た。

この時代を生きたもう一人の偉大なガンバ奏者、マラン・マレは、フォルクレとライバル関係にあったと言えるが、抑制された優雅な演奏から【天使の様なマレ】と呼ばれ、それに対してフォルクレは燃える様な適し

い演奏から【悪魔の様なフォルクレ」と称された程に、その演奏スタイルは大きくるものであった。

この二人の演奏スタイルは、二世紀にわたり劇場、彫刻、建業、絵画などの各分野でフランス芸術、文化に影響を与え、情熱的なイタリア様式と、優雅で洗練されたフランス様式の違いをも表している。

1699年に生まれたフォルクレの二番目の子供ジャン=バティストゥは、父フォルクレと同じく神と■われ、6歳の時にルイ14世の御前でガンバの演奏を披露するほどであった。

そんな息子の才能に嫉妬したのか、父フォルクレは息子に度々酷い仕打ちをし、親子間には大きな確執があった。1730年にマント(マント=ラ=ジョリー)にフォルクレが隠居すると、ジャン=バティストゥは名実ともに最も著名なガンバ奏者としてその名を馳せる事となる。

その後1745年にマントでフォルクレが亡くなると、その後か2年後の1747年にジャン=バティストゥはこれまでの確執にも関わらず、「父フォルクレの作品を後世に残したい」と父のガンバ曲集をチェンバロソロ曲へ編曲し出版、その序文までを執筆したのである。この中の第3番組曲は、ルイ15世の

2番目の娘であり、ジャン=バティストゥのガンバの生徒でもあったアンリエット・ドゥ・フランスに献呈された。

ガンバの古き良き時代へのノスタルジーとして、ジャン=バティストゥは序文に次の様に記している。

(ヴィオラ=ダ=ガンバ、その長所にも関わらず、いくらか忘れられている存在です。

マダム、あなたは長い間その様に認識されたものを、鼓舞し、復活させる事が出来るでしょう。


エマニュエル・ジラール



《組曲1番》

【ラボルド】

おそらくジャン・ジョゼフ・ド・ラボルド

(1724-1794)、音楽家ジャン・ベンジャミンラボルド(1734-1794)の兄であろう。ラモーは1741年にコンサートで自作を彼に捧げている。

【フォルクレ】

フォルクレファミリーのために。これはおそらく、父フォルクレへのオマージュである。

クープランやラモーも父フォルクレに自作を捧げている。

【コタン】

おそらく、1752年に亡くなったサンテティエンヌ・デュ・モン教会の司祭。テレマンのパリ四重奏曲作曲のために金銭的協力をし

た人。

【ベルモン】

有名なガンバ奏者であり、父フォルクレの音楽仲間。曲の頭にある<avec godt>はく上品に)。これは伴奏者としてのベルモンの腕前をしめす。

【ポルチュゲーズ】

これはアクセントのある和音、鋭いスタッカートを一小節の中に二つの弓の動作として演奏するエキゾチックなキャラクターにつけられた名前だろう。

【クープラン】

フランソワ・クープランに捧げられた。彼のチェンバロ曲集第3巻の1つの楽章は、父フォルクレに捧げられている。

《組曲2番》

【ブロン】

マルタンかフランソワ、どちらかのフォルクレ家の公証人であるブロンに捧げられた。

マルタン・ブロンは、1728年12月16日に父フォルクレの娘のシャーロット=エリザベスの結婚の証人になった。

フランソワ・ブロンはおそろくマルタンの息子で、息子フォルクレの家を売却した時に公証人に任命された。テレマンのパリ四重奏曲作曲に協力したり、作曲家モンドンヴィルの後ろ盾となった人。

【マンドリン】

連続する和音と、隣り合わせの二弦を弾<奏法がマンドリンに似ているため、付けられたタイトル。

【デュブリュイユ】

チェンバロ奏者であり、1764年出版(叙情詩の辞書)、1767年出版(和声の教則本)の筆者、ジャン・デュブリュイユ(1710~1775)に捧げられた。

彼の妹は、有名なチェンバロの教師であった。クープランはチェンバロ作品の1つに「デュブリュイユ」というタイトルを付けている。

【ルクレール】

著名なヴァイオリニストで、イタリアで学び、ヴァイオリンと室内楽アンサンブルの為に多くの作品を残したルクレール(1697~1764)に捧げられた。

この作品はイタリアのキャラクターが強く、長いフレーズ、幅広いポジション移動(左手のハイジャンプ)、速いパッセージ、アクセントのついた重音などが多く見られ、イタリアのヴィルトゥオーゾヴァイオリニストの才能に敬意を表して付けられたタイトルである。ルクレール夫人は感激し、息子フォルクレに自身の名前を刻んだ2冊を注文した。

【ビュイッソンのシャコンヌ】

おそらく父フォルクレの娘であるシャルロット・エリザベスと結婚した国会議員、ピエール・ビュイッソンに捧げられた。この夫婦は1741年3月13日に、息子フォルクレとマリー=ローズ・デュボアの結婚の証人でもあった。または、父フォルクレが隠居したマントと音楽的に関係があった街、トゥールの音楽家であったビュイッソン女史に捧げられた。

《組曲3番》

【フェラン】

モンドンヴィルとラモーの知人であり、芸術への情熱を持っていた農場主の息子、ジョゼフ=イアンサンテ・フェロンに捧げられた。農場主は1730年頃から、ローラン・マレー、息子フォルクレ、チェンバロ姿者のルイ=クロード・ダカン等とのガンバのコンサートを企画した。フォルクレは彼の息子ジョゼフにガンバを選奏する様にすすめ、彼はクープランの弟子となった。

【レジャントゥ】

1715年から1723年の間、ルイ15世の摂政(レジョント)となったオルレアン公、フィリップ二世(1674~1723)に捧げられた。彼はガンバ、歌、作曲と優秀な音楽家でもあり、イタリア音楽愛好家でもあった。

シャルパンティエ、カンプラ、ルリエ、ジェルヴェ、フォルクレに師事した。1692年、ルイ15世とモンテスパンの娘、ブロワと結婚した。

彼はフォルクレの演奏を好み、度々彼に演奏を求めた。

【トロンシャン】

おそらくその時代で最も有名な医師の一人、テオドール・トロンシャン(1708~1781)に捧げられた。

ヨーロッパ中の人々が彼の所に受診に訪れ、彼の友人にはヴォルテールやディドロ等がいた。彼もテレマンのパリ四重奏曲作曲のために金銭的な協力をした一人でもあ

る。

【アングラーヴ】

息子フォルクレの作品。説明は付いていない。

【デュ・ヴォセル】

未知の人物であるが、ヴァイオリニストでもある、ラベが作曲したヴァイオリン・ソナ夕の1つの楽章も、同じくデュ・ヴォセルに捧げられている。

おそらく天文学者シャルル・デュ・ヴォセルの父であろう。

【エイノー】

裁判官であり、知識人であったシャルルーフランソワ・エノに捧げられた。

ヴォルテールの友人でもあり、フランスの歴史年表を書いた人。

【モランジスかプリセのシャコンヌ】

息子フォルクレの作品。説明は付いていない。


EMMANUEL GIRARD

エマニュエル・ジラール 日本(仙台と鎌倉)在住のチェリスト、ヴィオラ・ダ・ガンバ奏者。

© 2024-2025 Emmanuel GIRARD

Website made by NeoStudio

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